2021.10.18
M先生
住宅の業界に入って一番の財産は、たくさんの人に会えることです。
それはたくさんのお客様から色々なことを学ぶ機会があること。
直接指導いただくこともあるが、間接的に学ぶこともある。
M先生もそんな私のお客様だ。もと教員で某大学で長年教鞭を取られていた。
だからどちらかというと直接ご指導いただいた感がある。
先生は80歳になってもシニアテニスに打ち込み、詩吟で喉を鳴らし、シルクロードを語る。ライフワークは郷土研究。
私も歴史が好きなことで先生とすこぶる気が合った。
とは言え、郷土研究家として各所で講演をおこない、執筆活動までされている先生には足元にも及ばない。
ある日、先生から頂いた年賀状で一首の漢詩を送られた。
新島襄の作で寒梅という漢詩だ。
それまで詩などを人から送られたことが無かったので、嬉しくて、仕事場の机の上にいまも挟んである。
意味は『庭先にある早咲きの梅が厳しい風や雪の寒さにもめげず笑うがごとく開いている。一番咲を争うこともなく、また特に力むこともないが、それでいてあらゆる花のさきがけとなって咲いている。まことに謙虚な姿である』
明治の教育者 新島襄は1843年生まれ、幕末から明治に生きた教育者である。
米国に渡り、明治7年に帰国、京都の同志社大学設立に奔走した。
勝海舟の日記に、帰国後、大学の事で相談に来たとある。その時の勝海舟の心配どおり、途中病にかかり47歳の生涯を閉じた。
大学設立のために困難の連続だったのである。
後に大学は設立され寒梅は花開いた。不浄不力、なんと難しいことか。
しかしいつの間にか私のこころの抽斗が出来て、そこからを時々出しては、詩を読み返していることに驚く。
失礼ながらM先生も真の教育者である。
まさみ